このメールマガジンは、HTML形式で発行しています。 |
2009年 7月 5日発行 |
須波海浜公園海びらき |
|
|||||||||||||||
7月のイベント
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「ふるさと三原への手紙」 8月の祭りと聞かれたら三原市民はきっと、やっさ祭りを連想するでしょう。今年で34回目を迎えるやっさ祭りは34回の歴史はもちろんのこと、それ以前の歴史もあるため三原市民にとって大切にされていると思います。そもそもやっさ祭りの主役であるやっさ踊りは、約440年前毛利元就の三男小早川隆景によって現在の三原駅がある場所に城を築かれ、その完成を祝って老若男女を問わず、三味線、太鼓、笛などを打ちならし、祝酒に酔って思い思いの歌を口ずさみながら踊り出たのがはじまりと言われています。 私は本年度その歴史のある祭りの実行委員長を務めさせて頂くことになり、責任の重さと、できるだけ多くの市民の皆様に喜んで頂ける設営に取り組みたい気持でいっぱいです。私はこれまで、(社)三原青年会議所でまちづくりを通して多くの先輩方の指導のもと、さまざまな経験をさせていただきました。この経験をできる限り生かさせていただき実行委員会を運営してゆきたいと考えています。 これまで(社)三原青年会議所メンバーとしてやっさ祭りの設営に関わって参りましたが、私は踊ることができません。設営だから踊れなかったという問題ではなく、踊れないのです。三原で育ったにも関わらずに。それは子ども時代に踊る機会がなく、社会人になっても踊らなかったためです。せっかく素晴らしい踊りがあるのに・・・。どれほど素晴らしい踊りかと申しますと、他のまちでは郷土愛を深めたり、まちの一体感を生み出したりするための一つの手法として祭りを新しく開催することがありますが、その祭りにある踊りは他の地域の踊りや新しい踊りになります。私たちのまちでは、踊りを新しく考えなくていいのです。しかも400年以上の歴史のある踊りがあるのです。我々三原市民にとっては当たり前の踊りですが、他の地域から見れば非常にうらやましいと感じるに違いありません。 三原市には小学校が30校ございます。昨年はこれまでで一番多い8団体、やっさ祭りに参加して頂きました。今年も教育委員会や学校にお願いをして参りましたが、昨年と同じぐらいの参加数となりそうです。三原市民全員が8月の祭りと聞いてやっさ祭りと連想し、踊ることができるようになるためには、子どもの時から踊る環境がなければなりません。踊る環境作りは、小学校単位で行ってゆくのが一番無理なく、取り組み安いと考えられます。ぜひとも、郷土愛を深めるため、またまちの一体感を生み出すため全小学校の参加をお待ちしております。 最後になりましたが、今年のやっさ祭りは8月7日(金)8日(土)9日(日)です。ぜひ、三原しかないやっさ踊りをご覧にお越しください。一所懸命設営して皆様のお越しをお待ちしております。 第34回三原やっさ祭り実行委員会 |
報告者 メタボ学芸員 毛利元就の三男隆景は、天文13年(1544)に竹原小早川家の家督を継ぎ、天文19年には沼田小早川家の家督を相続しました。そして、小早川隆景は、天文20年に沼田川の東岸の高山城に入城して、翌年、新高山城跡に移城しています。 高山城の登山道は、東側から本丸へ登るルートと南側からイワヲ丸へ登るルートがあります。両ルートも大変厳しく、何度か休憩を取りながらでないと登るのが大変です。東側から登ると本丸・扇の丸に石垣を見ることができます。この石垣は、立石を均等に並べ、その間に横石を積んでいます。南側から登ると、出丸の巨大な土塁を見ることができ、イワヲ丸から眺望はすばらしいものです。 |
食物繊維の豊富な「あらめ」は昔から常備菜として親しまれています。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||
作り方
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||
■配信先のメールアドレスの変更 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 |
発行者:三原市ふるさと情報発信事業推進協議会 |