ふるさと三原への手紙 ・・・ 加納達則さん
第3便
前夜祭の次ぎに来る本番
プリモピアット第1幕パスタシュッタ(*1)。/麺類 汁物 飯類
プリモ、つまりイタリア語で一番目、いよいよこれからが本番の料理です。これなくしてイタリア大衆文化は語れません。
またここでマルチェッロ氏にご登場願います。
第2通目の手紙では、今時の若い人は彼の名前は知らないとご指摘がありましたが、チャップリンの後ろ姿もさる事ながら、私の知る唯一の後ろ姿で演技のできる俳優さんでした。
ところで、往年のフランスの美人女優カトリーヌ・ドヌーブが、当時愛人関係にあった、今は亡きイタリアの名優マルチェッロ・マストロヤンニをして『イタリア人男性の頭の中は、アレとパスタしかない!』と看破した名言?として伝えられています。
イタリア人ではなくとも、世の男性にとってかなりきつすぎる三行半です。
しかしデス、男性の存在理由でもあるアレを揶揄するのは、現在の世俗的風潮からすればナンセンスに思えてなりませんが…それだけパスタの占める位置は高次元にあるのです。
通常、日本人旅行者はプリモピアットで食事を止めてしまいます。いや断念すると言う方が適当かもしれません。
コチラの言い分はさておき、ソレは量の問題なのです。
私の友人であるレストラン経営者(ミシュラン2星)に言わせれば、材料を節約しているような印象をお客さんに与えたくないという計らいだそうです。通常パスタでは80gくらいが、一人前と言うところです。
私たちの良き習慣からすると、料理を残すのは相手側に対して失礼となります。しかし、この地は、得てして価値観の逆転するところです。地球の裏側で日本が8時のとき午前零時です。
大和国で天照テラスの女神様が洞窟に隠れていた時でも、オーソレミヨは輝いていた地であります。
これからが本番、と張り切っているシェフを落胆させないためにも、夢に見た本場のラザーニャ、マトリチャーナ、カルボナーラはあえて残すべきでしょう。
コース料理を全て食べきれなかった腹いせに、イタリア人は大食漢であると決めつけるのは危険です。ここはあくまで食物、料理の技量を売るお店です。
家庭料理とかママの味、郷土料理と言う看板をあげているだけに過ぎません。
『各々方、ユメユメ御油断召されるナ!』
全てのイタリア家庭で3食こんなメニューをこなしてはいません。ご心配なく。
例えば、シンプルライフナンバー?1!
簡素さを通り越すくらいに美味いアリィオ・オイリオ・ペペロンチーノ。別名“午前零時のスパゲッティー”。あらかじめ、フライパンにエクストラバージンのオリーブオイルでニンニクと干し唐辛子とを緩く炒めておき、茹でたてのスパゲッティーを先に用意しておいたフライパンでサッとあえるだけ。ただそれだけ、文字で書いて2行のパスタ料理。
フライパンで、ニンニクのスライスと干し唐辛子をエクストラバージンオイルで暖める時間と、パスタをアルデンテ(*2)に茹で上げる時間が、ほぼ同時くらいではないかと思われます。
午前様の空腹を癒してくれる救世主であり、サッカーのハーフタイム15分で作れて、後半のハーフ、テレビの前で皿に盛られ、できたてのパスタの芳気の向こうにインテルVSミランを観ている寸法です。
しかし私は、この情景を醒めた目で、今は無き広島市民球場のナイター広島VS巨人、7回の表を1塁ネット裏で決して美味くなかった、[カープうどん]をすする自分を見てしまいます。これはスポーツとパスタを絡めた淡い思い出。まずいうどん、スカッとする衣笠の空振りは、私の記憶に鮮やかです。
プリモピアット、特にパスタ料理については、周知のスパゲッティー、マケロニというイタリア料理の代名詞的なパスタがあります。そのパスタの種類も無数に存在します。全ての形状が、民族学、人間工学、建築学、食品化学そして最後に、美学的にまとめてあります。
特に、その地方色たるや方言の数と同じくらい存在しています。それだけ食感は、語感と相似していると言えるのではないでしょうか。
幸いな事に、この国には豊かで個性的な表現力が残っています。
ましてやその味付けとなると個人差から始まり、地方、国内、ひいては移民によって移植された変形タイプ、奇形タイプも存在しています。
民族料理の変化型は、中国人移民の中華料理とイタリア人移民のイタリア料理に似ているように思います。
根強い雑草のごとく、マフィアのオマケ付きで移植されて行きました。
世界各地に存在するチャイナタウン、リトルイタリアには彼らのレストランが多数存在しています。
私の記憶に残る最初に食べたナポリタンスパゲッティーなるものは、高校生の時分、駅裏の 喫茶店で食べたケッチャップソースで味付けした焼きそばもどきのものでした。これは明らかにアメリカ経由のイタリア料理の奇形です。
おそらく、イタリア移民の孫の世代から取り入れられた、まさにアメリカンスパゲッティーと思われます。ピッツアにしてもそのように,本場のナポリのピッツアとはかなり違うようです。
この陽気な程の簡略的な作り方を素直に受け入れ、疑いを持つ余裕の与えられなかった私達の両親達は気の毒です。
どのような人達の文化を経由して輸入されたものか、パスタがアルデンテ(*2)に茹で上がる合間に考えてみるのも楽しいのではないでしょうか。
プリモについての考察は、あまりにも広範囲で、汁物と飯物を残してしまいました。
ここで、料理を残してしまっては、トスカーナの人達に我がミネストローネは?ミラノの人には 世界に冠たるリゾット・アッラミラネーゼはどうなったのよ?
『あなたは、歴史ある民主共和制のイタリアで、政府奨学金を貰いながら何を学んだのか』と脅迫されかねません。
されば、次回はプリモピアット第2幕として、あふれる鍋のふたを開いてみることにいたしましょう。
次回第2幕へ、つづく
(*1)パスタシュッタ
略してパスタ。通常スープに浸っていないパスタ料理を指します。シュタとは、乾いたという意。
(*2)アルデンテ
少し麺の芯を茹でないで残した固茹で、歯ごたえを残して!と言う意味。 芯を残したところが歯ごたえと呼応して、音楽的な響きが感じられるのは私だけでしょうか。
加納 達則 (1954年 三原市生まれ)
http://www.tatsunorikano.info
|