〜イタリアを中心に世界で活躍する現代美術アーティスト〜
プリモピアット 第3幕 ミネストローネ、ハートの中のハート。
ミネストローネは、イタリア料理では全国的な家庭料理です。
風邪などの病気をした時など、常につき物のマンマ(お母さん)の味。
よくレストランなどでは、意識して本場「トスカーナ風」とメニューを揚げています。
ミネストローネに限り、どこで食べてもどれも変わり映えがしなかったように思います。
しかし、特別のミネストローネを食べたのは、シエナ(*1)での思い出です。
この街は、中世の昔からのカソリック大本山サンピエトロ寺院を目指して、全ヨーロッパから南下して来たローマ巡礼の通り道でした。
そこには、医療救済所などもあり、ローマを後一息に控えた巡礼者達のオアシスだったようです。
そのシエナ総合病院はそのような前身があります。今では救急患者用のヘリポート完備の立派な総合病院です。
それは…20年前の話になります。
旅も長く続くと、巡礼者のように病難に遭います。
当時から神経眼科はイタリア有数で、外国からも多くの有名人(*2)が個人的に診察を受けに来ていたようです。
全くの幸運にも?シエナ大学医学部神経眼科、故レナート・フレゾッティー学部長教授のご好意のお陰で、緊急入院ができました。それもとびっきりの特別室です。
何故? 異色の患者への学術的な興味?
いや、私はキリスト教博愛主義と解釈していますが。
しかし実際は、イタリア警察規格の鉄格子付き囚人用の特別室でした。なるほど、よほどの事の無い限り使用しないこの特別室が空いていた訳です。
個室でトイレ付き、テレビこそ付いていませんが、窓の向こうは、緩やかな牧歌的なトスカーナの丘陵地帯が広がっています。窓には鉄格子がしっかりついてはいましたが、国賓待遇のVIP並みでした。
私がこの病室を出入りするたびに、鉄格子の引き戸を自由に開けますが、鍵も掛けていないのですから不自由ありません。
事情を知らないイタリア人入院患者さん達は、外国人囚人を好奇心の眼で見ていたに違いありません。
後日談ですが、退院後この病室のことが気にかかり再訪問した時には、特別室の前には制服姿の武装警官が座っていました。これは脱走を防ぐための監視?それとも死客から証人を守るための護衛?知るよしもありませんでした。
つまり、正規の満室ということと納得しました。
この正規というところ、いかに民主主義を個人が解釈するかで境目はあいまいになります。解釈の個人差と、自由な個性のない所には、芸術は生まれてくる余地はありません。
そこがこの国の良いところであり、泣き所でもあるように思います。
イタリアを、ある程度個人の裁量に任せてくれる、人間に寛容で余裕のある国と理解して頂けるなら嬉しいのです。
ちなみに、泣き所(人間的な弱さを)を憎しみの反作用で愛せるようになれれば、既に貴方は立派にイタリアのネオリアリズム(*3)
映画の主人公に成れると思います。
人生の喜劇と悲劇は、常に背中合わせにあるのでしょうか。
イタリア人の良き友は、辛い時ほど深刻になりすぎないように振る舞え、と教えてくれました。
あまりマジメに悩んでいては、自分がそれ以上に落ち込むだけ、というように解釈しています。
私も、この時程のピンチに立たされたことは過去ありませんでした。しかし、鉄格子の中の入院生活は、その通常ではない状態に魔法を掛けたような状況を演出してくれました。
確かに、自分でもかなりその状況を楽しんでいられたように思います。
トスカーナなまりが強烈な看護師さん達とは直ぐに仲良くなれましたし、病院の食事を楽しむことさえできた程です。
この入院期間中毎週メニューにあがるのが、ミネストローネでした。
本場トスハーナのアート(*4)の中心で食べられる幸福と、当時最高と賞賛された名医による治療。特別室での入院、完全保険制度により無料に近い有料。
このようなことが起きるのも、自分の運命と思えば幸せな気分にもなろうというものです。
-特別室-には少し長い注釈を付けたいのでありますが。
これは、比ゆはなく「自分のために作った!」と告白された理事長先生
間違いなく特別室でVIP待遇の人間ドックに招待されました。
床の間のある和室と洋室のサロン、二つがついてその広い部屋にはゆったりとしたベッドが、ポツンとある感じ。浴室は高級ホテル並み+介護設備。
秘書だろうと税理士先生、加えてゴリラとか用心棒を従えておくスペースには事欠かないような気配り、さすがに京都の人は気持ちが細やかです。
それに朝夕は師長さんを先頭に、満艦飾のよりすぐりの美人ぞろいの若い看護師さん達に「お早うございますー」の合唱で、上げ膳下げ膳の大サービスでした。
正規の一線を越えて迷い込んだ普通の国、日本での出来事でした。
何も病気は見つからなかったのが幸いでしたが、貴重な体験をさせて頂いたDott.Yano先生には感謝しています。イタリアと日本、両極の特別病室を経験したのは幸運でした。
さて、このミネストローネ、消化が良くて栄養のバランスが取れている。正に病院メニューの花形とも言えるものです。
その花形を、ここ本場中の本場、それも病院のベッドの上で、トスカーナなまりの野趣味あふれる純朴な看護師さんに食べさせてもらえる幸運?こんな状況は作ってできるようなものではありません。
まさにミネストローネの根源はここに極まっています。
そこにまた、イタリア人の友の言葉が蘇ってきました。
それで美味しかった?
コジィ、コジィ(*5)
テーマのミネストローネの話に返ります。
私のごく個人レベルの日本語を当てはめて、かつ山陽道に面した三原的風土をベースにして訳してみますと、「野菜と穀物の煮込みトマト風味のお汁」となります。
あまり映えない訳になりました。
それは、私自身が、野菜と穀物に対する執着心の欠乏からくるものではないかと思います。それが、広々とした内陸の田舎に根を持つ人の手にかかろうものなら、詩情のあふれる名訳になるのではないかと思います。
育った環境からDNAにインプリントされた味、におい、経験の中での体験としての味は、遠い過去の思い出を、何かのきっかけで一気に遡らせてくれます。
向学心旺盛なDott.Yano先生に、「カノオはん、イタリアの医療事情はいかがですか」と、問われた時は言葉に詰まりながらも、「いーや!大変でした」と一言では言えないものが胸に込み上げてきました。
それは、あのハートの中のハート、シエナのミネストローネの味ではないかと思います。
それでは、いよいよセコンドピアット、肉料理にするか魚料理にするか。
次回のお楽しみとしましょう。
セコンドピアット第1幕に続く。
(*1)イタリアで個人的に一番好きな街。トスカーナ州 シエナ県の県庁所在地。
13世紀の中葉から14世紀に掛けて繁栄、フィレンッエと覇権を争い破れる。
美術では13世紀全盛の国際ゴシック様式の中心地。
私の好きな、シモーネ・マルティーニの傑作があります。
旧市内全体が世界遺産に指定されています。
(*2)旧ソ連邦の物理学者ソビエト「水爆の父」。後年平和運動で、反体制批判を
繰り返す。ノーベル平和賞受賞。サハロフ博士の婦人もフレゾッティー教授の検診を受けています。
おそらく自由主義圏で、当時からイタリアが左寄りであった事が幸いしたと思われます。
(*3)第2次大戦後の戦後の荒廃時期から始まり、現実的な描写で社会の中の人間生活の矛盾をリアルに表現した映画芸術運動。
(*4)イタリア語では Hの付くハヒフへホの発音はしませんが、トスカーナ方言では、ハヒフヘホも発音します。特にトカーナの中心部(心臓部)のシエナでは母音には強くの Ha 音が割り込んできます。
そして、イタリア語発音では、 英語のハート(心臓)Heartは Heは発音しませんからアート(芸術)になる駄洒落。ちなみに私の友人の春樹くんは、アルキ君に。ホンダ君はオンダ君、ヤマハさんはヤマカさんになります。
しかし、トスカーナ方言ですと、きちんと日本語どおりに発音してくれます。
フィレンツェでは友人の春樹くん、しばし安心していたそうです。
(*5)Cosi cosi,コジィ こんな風にと言う訳ですが、二回続けますと、まあまあと、いう具合になります。
追記
私はイタリア政府の奨学生であった当時シエナに住んでいました。
それとこのVIP待遇に感謝して、1996年の夏に、東洋と西洋の文化比較をテーマにした討論会と展覧会をソニーのスポンサーで、シエナ市役所と日本外務省で開らかせて頂きました。2002年、京都でも感謝の意味を込めて、個展を開かせて頂きました。
加納 達則 (1954年生 三原市糸崎出身)
http://www.tatsunorikano.info
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