第4幕 セコンドピアット
肉食獣のための肉 その2
フィレンツェ旧市街、アルノ川のコチラ方に位置するそのお店、フィレンツェ旧市街の田舎料理の老舗です。
若い娘さんもオジさんも、年配の娘さんも肉の塊と格闘している風景は、まさにアフリカのサバンナの壮大さでした。
それではナニがちがうの? となる訳ですが。
味とか、香りは確かに全般的に牛肉のそれです。
焼きすぎるとダメですが、おツユもタップリあります。
特に骨の近くに位置するヒレ肉あたり、いやヒレ肉の近くに位置する骨のあたりはヒラメの縁側、アンコウの軒下にも匹敵します。
お店によってはビーフステーキに、ビスマルク風とかロペスピエール風としゃれて書いてあります。
ロペスピエールは、フランス革命当時、あまたの政敵を断頭台に送り込み、自身も処刑されてしまった血生臭い恐怖政治の主役。
かたや宰相ビスマルク、ドイツ帝国は鉄と血で作られると言ってはばからなかった。
つまりここでは、焼き方とカットの暗喩に使っている訳です。
やはりここは、民族の血統の内に潜むDNAなのでしょうか。
大陸の狩猟民族が、「取った、取られた、ヤッタ!ヤラレタ?」を繰り返していけば、このようなしゃれは、お遊びと昇華されてしまうのでしょうか。
このようなユーモアは、日本の料理屋で果たして通じるのか疑問です。
例えば、どじょう屋の献立に「三寸どじょうの五右衛門風」とか、割烹料理屋で「鯛の獄門造り」はウケません。
しかし、面白いことにアレだけのユーモアのある彼らが、「白魚の踊り食い」はウケませんでした。
この辺り幸いにも、寿司/なま魚文化の本質的なところは理解されていないな、とよみました。
とりあえず、目の前で骨付き肉の塊と格闘しているモニカちゃんやジーナさんは、広大なサバンナで草上の食卓を供宴しているのです。
その歴史の中で育った彼女と、この後どうなるのだろうか?なんて心配してはいけません。
雌ライオンの狩ってきた獲物をゆったりと、ただ食べるのが雄の仕事なのです。
その後のことを想像すればもちろん、胃にもたれない肉の方が得策です。
このステーキだけをとっても、これだけ根本的な違いが出てくる食文化の違いが、開眼させてくれました。
そのとき、あのレストランで見た光景は、モノの考え方、捉え方,感じ方に影響してきたのだろうと想像します。
若かった私の歯と胃腸、それと、若い感性が教示してくれたのかも知れません。
それに呼応するような観察が、材質比較の特性に現れています。
巨匠レンブラントの描くヨーロッパ人の皮膚の質感は、油絵の具で表現しうる感触ですが、青磁器の透き通った肌触りは、やはり極東洋の感覚です。
石作りの家屋に対し木造、キャンバスに対して紙、肉に対して魚、その他色々、もちろん、人種の違いもありますが、持ち味を活かした表現が、文化の基礎にあるのではないかと思い始めたのは、こちらにきて2年未満の頃だったと記憶しています。
次回セコンドピアット4幕2景に続きます。
加納 達則(1954年 三原市糸崎出身)
http://www.tatsunorikano.info
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