4章 セコンドピアット
ガリポリのズッパ・ディ・ペッシェ 7月号の続編より
どこの海辺国にも余った魚(あくまでも活きのいい余り物、俗にアラと呼ばれるものです)
を煮込む料理法はあると思います。南フランスでは、これと似たものをブイアベースと呼びます。
カリブ海沿岸で食べたものは、強烈な辛さに熱々スープ。赤道近くの強烈な太陽に焼かれた体には、心地いい刺激でした。
これもやはりズッパ・デ・ペシュと呼んでいました。
世界に冠たる三原近辺では、「煮しめ」とだけ呼ばれていたと思います。もちろん、残り物の魚と季節の野菜で醤油味です。
子どもの頃は、飽きる程食べさせられた思い出があります。こちらでは醤油の代わりにトマトとオリーブオイル、それと香辛料です。
それと対比させたいのが、今回のメニューのズッパ・ディ・ペシェ。
トスカーナ州の海岸線。ピサ辺りではカチュッコと呼び名が変わります。そこで今回登場するのは、南イタリアプーリア州のガリポリ。
残り物の魚に慣れ親しんでいる私をうならせたこの逸品です。
それは、84年の復活祭の休暇に出掛けた南イタリアスケッチ旅行。気まぐれで途中下車した海辺の町ガリポリ。
久々の潮の香りを吸い込み、直感で入り込んだ港のトラトリア。5・6品しか無いメニューから、主人から勧められたズッパ・ディ・ペッシェ。
通りの入口から2、3段降りた薄暗い土間の当たりから、港の匂いと相まって漂うとろりとした空気。丈夫一式の手垢のしみ込んだ黒光りしたテーブル。
アドリア海の外光に反射する白い家並から、やっと視覚が元に戻り、暗がりの食堂の風景をじっくり眺めていると、地酒の白ワインの頭越しに、大人の手のひら大の耐熱土鍋に盛られた料理が、地元で焼いたパン、それとパーネ プリエーゼが一緒に運ばれてきました。
南イタリア特産、極小の完熟トマトから作った、スープの波打ち際。芳香な湯気の向こうに浮かんでいるのが鰻のおかしら。「…!?」
イタリアでも鰻は食べます。しかしアタマは食べません。潮の香りと、部屋に漂う空気の匂い。
そして、魚のお頭からくる視覚的な刺激は、遠い過去の記憶を解き放してくれました。
何とも説明できない恍惚とした快感です。
これは、遠い昔の煮しめの記憶が蘇ってきました。私は「失われた時」を取り戻す事ができたのです。
これには、子どもの時分を思い出し合掌。ブォナ ペティートと呟いてしまいました。
ちなみにこの言葉は、日本語で「いただきます」を指しますが、キリスト教者は、胸に十字を切って創造主に対してお祈りをします。
このブォナ ペティートとは、「快食イタシマショウ」くらいの軽さです。
それでは、次回セコンドピアットに続きます。
追記
私の所見では、魚も肉と同じで、骨の近くにある身がやはり一番おいしい部分と思われます。
肉、魚どちらも精通されておられる皆さんには、甚だ蛇足の感はあります。
魚を主要なタンパク源としてきた民族は、太古から承知していたと思います。
前回の、「肉食獣のための肉」ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナを参照してください。
加納 達則(1954年 三原市糸崎出身)
http://www.tatsunorikano.info
(写真) 果たして、コレはどこでしょう?
2003年制作の作品部分。
1983年のプーリャでの旅行でズッパ ディ ペッシェの他にもこんなイメージの蓄積もしていました。
それ以前から、どこかにしまい込んでいたのでしょう。
消化吸収には時間がかかります。
そして、それが形に成るにはもっと時間がかかります。
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