第4章 5幕 私の創作セコンド備考
第1景 嫁と雌牛は (…!)
退屈しのぎで読んで頂いています大姉諸兄、残暑お見舞い申し上げます。
イタリアには、「嫁と雌牛は、我が村からもらえ」という格言があります。
あながち間違った考え方ではないと思います。いくつかの例外を除いては…。
「嫁と雌牛」と並べて書いたのは、別段女性蔑視の意味から書いた訳ではありません。
ここでは一つの文化、習慣のような物と考えて頂ければと思います。例えて言えば、食べ物とか風習でも構いません。
しかし、世界がこのように時間と距離を日に日に縮めている現在、その境界は村から町そして国境を超えてしまっているのが現状です。
先駆者としてここに登場して頂くのは、偉大な旅行家であり、ベニスの貿易商人であるマルコ・ポーロ。
彼はその著作「東方見聞録」の中で、中国では生姜が非常に容易に安価で手に入ると、中国各地の風物紹介で繰り返し述べています。
乾燥の生姜は既に遠い昔、ヨーロッパでは知られていましたが、余りにも高価でした。この東洋の各種香辛料の輸入によって、ベニスも繁栄します。ちなみに、トマトもアメリカ大陸発見後ヨーロッパに移植されています。
当時絹の道は、香辛料の道でもあった訳です。
そのマルコ・ポーロ帰国時には南回りの海路で帰国しています。最近私の友人の研究者の発表では、そのとき彼は中国人の妻を同伴していたそうです。
どうもスパゲッティの元祖は、中国にあったというのが定説になっています。彼女が中華麺を伝えたのかは不明です。
現在ではナポリ周辺のパスタ原理主義者を除いて、イタリア大半の意見もスパゲッティ中国渡来説に傾いています。
もし、我らがマルコ・ポーロ氏の妻である彼女が、中華麺(スパゲッティ)をイタリア人に直伝した人物であるならば、先の格言には大きな誤算が生じてきます。
人の知恵も及ばない大いなる歴史が生んだ、偉大な創作と言うべきかも知れません。
創作とは、あらゆる純粋な欲求が、個人的な必然に作用して生み出される、まれなるソレ(it)と言えるかも知れません。
この一期一会には個人差もあり、色々な状況も設定されます。
このドラマが引き起こすトラウマ(傷害)。トラウマを引きずって起こる連鎖のドラマによって、歴史もまた生まれてくるように思います。
マルコ・ポーロ氏の妻は、遠い異国でカルチャーショックのトラウマの中で、とうとう後世に残るスパゲッティの母体となったのではないでしょうか。
例その1、夏のセコンドピアット、私の冷や奴。
イタリア初めての夏。スーパーマーケットでの買い物をした時でした。
8月に入り例年とおり商店は、ほとんどバカンス休業。ここで買いそびれては、まさに死活問題というかなり切迫した日常でした。
当時、どこの商店やパン屋が開いているのか、さっぱり正確な情報がつかめていませんでした。
現在でも、どこそこのお店が開いていますよ、とは掲示していません。その幸運なスーパーマーケットで、食べられそうな物を物色していました。もちろん、かなりの物は予備知識として知っているつもりでいました。
確か、色々なチーズを置いてあるコーナーで、とても豆腐に似た一品を見つけました。形こそ違いますが、パッケージ、色なんかイタリア版豆腐という感じです。
この肌を焦がす熱風にほんろうされては、冷や奴はその言葉を聞いただけでも無防備になります。
しかし、現実は憧れのイタリアで、話には聞いていた恐怖のバカンス真最中だったのです。
この豆腐モドキも、ガイドブックで読んだことのある世界に冠たるナポリ地方の名物モッツァレッラ。水牛のミルクから作ったフレッシュチーズでした。
後で思ったことですが、このガイドブックは、また聞きで書いていること明白でした。
閑散とした売り場、バカンスに行きたくて、仕事のことなどまったくアタマにないオヤジがいました。
「セニョール、これは何ゾヤ?」
「おいしいカヤ?」と、お伺いをたてたのが大間違いでした。
暇を持て余している彼は、おらが村さこのたぐいのチーズはウマイ!までは分かりました。が、その後は解読不可能な南イタリアなまりの標準語で、マンマ(お母さん)がどうのとか、姪が香港に行ったことがある、お前もそこで生まれたのか…」と始まりました。
私はここで、おじいちゃんまでがでてきたらさあ大変、と丁寧にお礼を言って2つも買ってしまいました。
イタリアに豆腐があるとは聞いていませんでしたが、豆腐は植物性のチーズです。
このモットモらしく納得したくなった辺り、既に自分の中に「これはイケソウダゾ」というはかない期待が芽生えていました。
学生寮に買い物袋を持ち帰り、さて何かすぐに食べられる物はと探す間もなく、アノ豆腐が目に留まりました。
初めて食べるモッツアレッラ。冷えたところをやんわりと、一口(…)。
それは、味も淡白で主張は控えめ京風懐石。質感は豆腐とカマボコ系の中間あたりでしょうか、口当たりはミルク味のお豆腐でした。少し塩っぽい牛乳の個体状を食べている感じです。
余りに淡白で純粋無垢、あまり食は進みません。
そこで、これは水牛のミルクのトウフである。と屁理屈で自分を納得させて、旅行鞄の中から取り出したのが、ドイツ製キッコーマンの小瓶。
いかにもドイツでウケそうな名前の響きです。トーマスマン、アイヒマン、ボルマン、シュリーマン…。この到来品は、ドイツのデュセルドルフからミラノを経由して漂着しました 。
バブル前夜の80年代、当時日本企業は、イタリアにかなり面白い人材を飛ばしていたみたいです。
この醤油は、旧日商岩井のミラノ駐在員から頂きました。
醤油に少し浸してみました。
改善の後は見えましたが、何か足りませんでした。そのまさに必然的な出合いが訪れるのは、数年後でした。
そうです、冷や奴にはおろし生姜なのです。モッツアレッラには生姜、海苔、アサツキ、カツオ節何でもアリなのでした。
モッツァレッラチーズの一番シンプルな食べ方に、カプレーゼというメニューがあります。
つまりカプリ風にということでしょうか。モッツアレッラチーズに、新鮮な太陽光で熟したトマト、そして、匂い立つようなバジリコの葉っぱのみじん切り。エクストラバージンのオリーブオイルと好みの量の塩。バルサミコ酢を少し入れても良いでしょう。
これはコチラ風の食べ方。
蛇足ですが、バジリコは豆腐にも合います。
トマトと醤油の入れ替わりで、このように視野が広がるのです。
大姉諸兄!思考の地平線と、舌の幅も少し広がるのは請け合います。固定概念は捨てなくてはなりません。それなくして新たな発見はありません。
大姉諸兄には反論もあるかとは思います。
また、イタ飯狂信者の方々には、眉をひそめられるかも知れません。さしずめ私の場合は、大いなる幻想の生んだ、必然の創作と呼んでも良いかと思われます。
念のため、全てにおいて偶然は存在しないのです。
偶然を見いださす目は、必然的に養われているのです。
2008年制作 「PAX grande 3」
個人コレクターの室内。家屋は16世紀建造。天井のフレスコ画は文化財。
「洋魂和才!それとも大いなる幻想?」
次回、10月の手紙に続きます。
加納 達則(1954年 三原市糸崎出身)
http://www.tatsunorikano.info
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