ディノ・ガヴィーナの思いで
ボローニャ現代美術館での回顧展によせて。
ボローニャは束の間の秋を迎えました。既に日本も涼しくなっている頃と思います。
今回は少し方向を変えて、この手紙を書いてみます。
あまり食べることについては書かれていません。文章も大変読みづらいかも知れません。
現在の私の仕事の方向付けと、身の施し方を教わったのは、ディノ・ガィーナと今年3月に亡くなられた建築家の高濱和秀先生です。
いつか、高濱先生のことについて書かねばならない時がきます。しかし、その2年前に亡くなった朋友ディノ・ヴィーナについて書いてみたいと思います。
彼とは1986年、ボローニャ・アートフェアで作品を買って頂いたのが知り合ったきっかけです。それ以来、2007年亡くなるまでの付き合いでした。
9月22日よりボローニャ現代美術館で開催されているディノ・ガヴィーナ(1922-2007ボローニャ没)回顧展によせて、彼の思い出をたどってみます。
ガヴィーナについては、日本の大学の建築学科の授業でも登場しないくらい日本では知られていません。
しかし、デザインとファッション大国イタリアの美術教科書には、現代デザイン建築の教祖的な存在として登場しています。
待ち合わせは彼の自宅でした。しばしば土曜日の朝10時30分頃、彼の予期せぬ授業が始まります。
そのようにしてよく彼の自宅を尋ねたものでした。
気分よく、散歩がてらにまずは近くの本屋。それから、ピアッツア・マッジョーレの青物市場に行くのがお決まりの道順です。
時には、そのまま昼食をごちそうになることなどもありました。
時たま(多分?)機嫌の悪い時、つまらない電話があったりして、突然凄い雷が落ちたりしていました。
最初は、彼の異常なまでのけんまくに驚いてしまいました。しかし、これが彼の生命の根源であることを了解しました。
しばらくして散歩の途中など、ルーチョ・フォンターナ、カルロ・スカルパ、高濱和秀、マルセル・デュシャン、マン・レイ、アルベルト・ジャコメッティーなどとの交友の話を聞かせてもらいました。
彼らは、世紀を代表する芸術家、建築家とデザインの接点を求めて、1970年にデュシャンセンターをボローニャに創設。数々の作品を生み出したのは有名です。
時に、質問の内容が的を得たものであれば、まったく予期しなかった揺るがない豊かさで答えが返ってきました。
彼の話には、常に興味と感動がありました。それは彼の視点が、個々の作家の持つ人間性を良く捉えていたからだと思います。
その長い年月には、色々な日常生活のことなどがありました。
折に触れ、料理の作り方から、服装(1)に関してまで教えてもらいました。
あるとき私の家内が、栗のケーキを焼いてガヴィーナにこと付けました。それは彼の好物であることを知っていたからです。
まずは、彼女に丁重に礼を言っておいて、それからケーキを観察します。そして栗のケーキを例に取り、話の内容に深い確信と、豊かな例え話で満たしてしまいます。
しばしば、自分で作らなければ…と思ってくるのです。
別の言い方をすれば、アーティストは全ての物を尊重し、かつその作り方も知っていれば良い…教養をより幅広く持つ事だ、と教えてもらったように思います。
考えの基本は、必要から伴う実践。そこから得た直接経験です。その経験の過程で動き、知識に対する愛情、それ故の行動は、実際的な知識で、理論ではないと言えます。
この教えは、古代中国の賢人の言葉を思い出させてくれます。
『万巻の書を読みて、万里の道を行かずんば画祖と呼ぶべからず』
ガィーナとの対話は、全て師の考えを読むことから始まりました。
そのことは、真のマエストロ(師匠)と呼べると確信します。
その教えていることは、私の旅行が日本とイタリアにまたがり、未だに完結していないその創作活動に栄養を与えてくれていたのです。
よく考えてみると、そして考えてみれば、ガヴィーナはアーティストにとって、日常の経験は旧約聖書のマンナ(2)に匹敵する価値を持っていたと考えていたようです。
加納 達則(1954年 三原市糸崎出身)
http://www.tatsunorikano.info
(1)『芸術は流行に反する事です。』
(2)古代ユダヤの民がエジプトを脱出40年の砂漠で苦難の放浪を続けている時に空から降って来た神から授かったパン。
追記.11月5日よりボローニャ現代美術館とのコラボレーションでディノ・ガヴィーナ追悼個展をコッキ文化財団の協賛で開催します。
11月27日より東京銀座中山画廊にて2週間の個展です。
読者の皆様のお越しお待ちしております。
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