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大善寺 だいぜんじ
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江戸時代、三原には過ぎたるものが三つあると他藩から羨ましがられました。それは三万石にはふさわしからぬ大きな城、葵の紋所大段幕、そしてすぎたる智者鈴木方衛という家来がいたことでした。その後の三つが、この寺に関係あるのです。境内墓地の西南にひときわ大きい宝篋印塔が目にとまります。これは三原城主4代浅野忠義の母「月渓院殿心誉栄讃珠光大法尼」であります。又、鈴木方衛は江戸幕府より日光東照宮の修復が各藩に命ぜられたとき、誰にも出来なかった難工事を10日間で仕上げ、将軍を感嘆させたという智者で、この境内へ特別に葬られています。そのほかに須波の波止場を築いた栖崎正員の墓や法曹界の大御所花井卓蔵の墓などがあります。